月のうさぎは昼に泣く

25歳が考えること、そのまま。

明日が来なければ、私は幸せなのだろうか。

仕事とは、楽しいものなのだろうか。

私は3年間、働いていて心から楽しいと思ったことは、おそらくほとんどない。

朝起きた時、積極的に仕事に行きたいと思ったことは、ない。

つまり、私は仕事に快楽という側面があることを知らない。

 

では、楽しめる仕事ってなんだろう。別の角度から考えてみる。

だが、何年も考えているが、未だに答えはでない。

今の職場ではできないということは確かだ。いや、そこすら不明確だ。

それはやってみないとわからない類のことなのだと、今は思っている。

 

先日、転職面談に行った。

「自信があること」という項目に怖気づいた。

何もできない自分が転職してどうなるのか、考えれば考えるほど

未来の光は遠のいていく。

 

どうしたらいいんだ。

何ができれば、私は満足なんだ。

どうなったら自信は手に入るのだ。

何がしたいんだ。自分は何者なんだ。

 

嘆きは月とともに、夜明けに消える。

平和な毎日を、手をすべらせたふりして壊す。


誰かが見つけてくれるまで
ひっそり隠れて
生きていくのでしょうか。

誰かに見つけられなかったら
そのままひっそり
消えていくのでしょうか。

そんな人任せの人生に
意味があるのでしょうか。

立ち上がって、声をあげろよ。


どこにもいけないのは、あなたのせいじゃないのに。


死者が生者に託す願いより
残酷なものは無いでしょう。

そして、誰かが死ぬことの辛さは
経験した人しかわからない。

わからない、と突き放してしまうことも
また、ある種の残酷なのかしら。

せめて誰も苦しまないように
静かに死にたい、と。
そう思う気持ちがうるさい。


ふせんに書いた願い事を、流れ星にそっと燃やした。


世界中の人たちが
幸せになることなんて
地球が死ぬまでないんだろうなと思います。

だったら今日の私が不幸だとしても
そんなに大したことじゃないかなと
思います。

誰かに愛されることだけが
幸せじゃないんだよ。
きっとひとりでも幸せな瞬間はあるよ。
手が温かいかぎりね。


自分で作った檻は、意外に丈夫で少し困る。


待つだけの人生。
与えられるだけの人生。

ホントはみんな、そんなのやだって思ってるんだろうな。わたしもヤダな。

でもさ。
与えられる人間がいるから、世の中回ってる時もあるよね。きっと。みんなが与えたがる世の中で、じゃあ誰が受け取るの?って話。

この二極化は避けられないんだよね、きっと。

積極的に取りに行けたら
いいのになって、涙をのんで思うんだよね。
でも結局、カゴを自分で作った籠の鳥なんだよね。

寂しいね。
やるせないね。
はやく霧のなかに消えていきたい。